愛媛県~四国宇和島の海の幸を堪能する旅 ぶらぶら編~

にっぽん味めぐり旅ブログ第二回は四国は愛媛県の宇和島に行ってきた。私は愛媛出身だけど、宇和島に行くのは初めてなのだ。羽田から飛行機で1時間ちょっとで愛媛の玄関口松山空港に到着。そこからエアポートバスでJR松山駅まで約15分。松山駅からは特急「宇和海」で終点宇和島に向かう。宇和島は松山から離れているが交通機関の乗り継ぎも良くストレスを感じなかった。

1時間20分で宇和島駅に到着。駅前には南国を思わせるヤシの木が並ぶ。どことなく宮崎空港に到着したときの感覚に近い。
今回訪問したのは、「宇和島鯛めし」と「じゃこ天」を取材することが目的だけど、宇和島市役所の谷本さんにお願いして、宇和島近郊あちらこちらを見て廻った。
「宇和島鯛めし」の詳細はこちら
「じゃこ天」の詳細はこちら



これは宇和島を代表する祭り「牛鬼まつり」で使用される牛鬼の山車。毎年7月に和霊神社のお祭りでこの山車が街を練り歩くそうだ。

この牛鬼は道の駅「きさいや広場」に隣接する牛鬼館で見れる。あと宇和島は真珠養殖が盛んで、真珠館というのもあった。パールのネックレスなど東京では有り得ない価格で売っていた。6~7割程度の価格の感じ。(装飾品には詳しくないので違っていたら悪しからず)

きさいや広場はこちら
宇和島市弁天町1-318-16

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市内から車で南の方に移動。リアス式海岸に沿って走ると養殖の筏がずっと続く。写真手前の大き目のブイは魚の養殖用で奥に見える小さなブイは真珠養殖用。宇和島は鯛、ブリ、真珠の養殖が盛んでどれも全国トップクラスの出荷量だ。

市内から約30分ほど走って遊子(ゆす)地区まで来た。山の下から見ると最初なんなのかよく分からなかったこちら・・・

近づいて見ると・・・段々畑だ。はっきり言ってスゴイ絶景!!石だけで山一つほどの構造物が作られている。かつてこの宇和海で半農半漁の生活をしていたであろう先人の知恵と苦労を垣間見た。宇和島を訪れる人は是非ここは行って欲しい。

山の上まで歩いて登れる。

ここの畑に植えられているのは馬鈴薯だ。この急斜面がゆえに効率的に日差しを集めることができる。また海からの照り返しと石垣が保温効果を発揮し、とても甘い馬鈴薯が育つそうだ。毎年4月の下旬に収穫を迎え、その時期に「だんだん祭り」が開催され即売会を行うとのこと。限られた耕作地で出来る絶品の馬鈴薯ということですぐに売切れてしまうそうだ。期間限定なので馬鈴薯を買い求めることは難しいかもしれないが山の下のだんだん屋(売店)では馬鈴薯焼酎が売っている。少し試飲させてもらったけどほんのり甘くサツマイモの焼酎とは違った旨みがあった。

この急勾配での農作業は大変だろう。すぐ目の前は海なのだ。

ここは、『遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑』


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こちらは段畑の程近く、遊子水荷浦を見渡せる「魚見の丘」。昔はこの丘から魚群を見つけて漁に出ていたという。

現在では湾で養殖が行われている。

そしてみかんの段々畑。宇和島近郊の海岸にはこのようなみかんの段々畑はよく見られる。先ほどの馬鈴薯の段畑と基本的な構造は同じだそうだ。

さて、市内に戻り宇和島にゆかりのある歴史的な場所を訪ねた。ここは江戸時代の蘭学者「高野長英」が一時滞在した家屋だそうだ。
江戸時代は仙台伊達家の分家として伊達氏の宇和島藩であったが、先進的な殿様だったようで高野長英や大村益次郎(村田蔵六)も宇和島を訪れている。※このあたりのことは司馬遼太郎の「花神」に詳しく記述されている。

こちらは「ほづみ橋」。日本最初の法学者である穂積陳重(ほづみのぶしげ)にちなんで名づけられた。

宇和島出身の穂積を顕彰して銅像を立てよう、という話が持ち上がったそうだが、生前の本人の言葉がこちら。遺族の意向もあってこの橋に名づけられたそうだ。粋な方だったんですね。

ここは明治44年(1911年)創業の木屋旅館。後藤新平や犬養毅、司馬遼太郎や五木寛之らが宿泊したそうだ。一度1995年に廃業したが今年(2012年)に地域再生の目玉として復活した。訪問したときはちょうど再生リニューアル直前だったため中には入れなかったが、100年の由緒ある佇まいが伝わってくる。

木屋旅館
宇和島市本町追手二丁目86番12

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珍しい闘牛場をご紹介。宇和島は闘牛を見ることが出来る全国でも数少ない場所だ。年5回場所が開催される。ご覧になりたい方はスケジュールをチェックされると良いだろう。宇和島市観光協会HP

最後に宇和島市内を一望できる山に登った。左手に見えるのが宇和島城。奥のほうが宇和島港だ。
宇和島はこじんまりした街だが、見所豊富、うまいもんいっぱいの素敵な街だった!!


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