ごあいさつ

みなさん、はじめまして、社長の佐川です。
2016年の春、株式会社グローバルフードからグローカルフードに社名変更しました。
グローバルとローカルをかけた造語ですが、「地域」を小さな世界観でとらえるのではなく、 広く、常識にとらわれない視点で見つめなおそう、との想いで名づけました。
私はこの機会を第二の創業と位置づけています。

私の原体験と創業に至るまで

2003年に創業した当社ですが、これまでの経緯と今の考えをお話したいと思います。
まずは原体験として私の子供の頃まで遡ってみます。
私は1972年愛媛県砥部町の山間部で生まれました。兼業農家のため、小学生にもなれば労働力のひとりとして日曜も農作業に駆りだされます。
子供の頃は、それはもう農作業がイヤでイヤでたまりませんでした。自分の体重はあろうかという米袋を担いで山間の田んぼを登り下りしたものです。
誰もが高校生になると、ぼんやりと将来のことを考えると思いますが、私の心には「田舎には何もない」「ここにいても何もできない」という思いが澱のように溜まっていました。
将来の選択肢は東京に出るしかないと決意し、高校卒業後はひとり東京に出たのです。
勉強はできるほうではありませんでしたが、なんとか大学を卒業し、コンビニエンスストアの本部に就職しました。
20代はずっとコンビニのバイヤー職をつとめ、今に至る「食」に関わる人生が始まったのです。
そして、2003年にコンビニ時代のノウハウを活かして食の調達を行う株式会社グローバルフードを創業しました。

2000年代の食を振り返る

当社はこれまで、食品流通を基本事業として、外食企業や百貨店など様々な業態に「食」を提供してまいりました。
振り返ると、2000年代は「食」が激動した時代だったと思います。
長いデフレの中で、日本人は安い食べ物を求めて中国、東南アジアと調達先を拡げ、グローバル化が加速しました。
そしてその副作用として、中国産野菜の残留農薬や、冷凍餃子への農薬混入など、多くの問題があらわになったことはご存知の方も多いでしょう。
問題が起こるたびに、反省を込めて自問しました。
私たちは「食」という大切な“命の糧”を自分たちで握れているのだろうか?誰かに預け渡していないか?
おりしも日本の食料自給率が40%程度と、世界的にかなり低いことが話題になりました。
特に東京の食料自給率はわずか1%しかありません。ここに都会の弱さがあります。
また、2010年頃から行政を通じて地方と関わることが増え、地域のみなさんが、それぞれの地域を盛り上げようと頑張っている姿を見てきました。

○地方だからこそできること

なにより、地方にはまだまだ知られていない、良い「食」がたくさんあります。
確かに東京は、刺激や変化に満ち、可能性に富んだ場所です。
しかしながら、食の仕事を通じて感じたことは、「地方にこそ可能性を見出したい」という想いでした。
私にできることはなんだろう、私に与えられた使命はなんだ、と問いかけ続け
地方でしか出来ない、地方だからこそ出来ることをやろう、という決意をしました。

○地方の可能性

ところでいま、世界は小さくなったように思いませんか?格安航空で安く海外に行けますし、FTAなどの自由貿易協定によって関税は下がり、世界のモノが身近になりました。海外からの観光客も増加しています。目の肥えた世界の観光客は日本には日本らしさを求めます。
しかし、東京などの都会は、欧米を追いかけたがゆえに日本らしさを失ってしまいました。
皮肉なことに、都会から取り残されることで地方に日本らしさが残ったのです。


「日本らしさは地方にある」


つまり、世界からみた日本らしさのある場所は東京ではありません。地方なのです。
実際に、日本を訪れるリピータ観光客ほど都市部ではなく地方に足を運んでいます。


世界の人々からすると、地方こそが魅力のある日本なのです。地方はもっと勇気と自信をもっていいのです。
東京の後追いはやめましょう。それは、のっぺりした無個性な、魅力の無い国への道です。
都会と地方の両方を見て、はっきり言えます。
昔、私自身が思っていた、「田舎には何もない」「ここにいても何もできない」などということはありません。
いまこそ地方の可能性を拓くときです。


「地方にしか出来ないことをやるのだ!」


株式会社グローカルフード
佐川 弘二